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新聞のコラムや社説をながめてみる

愛嬌というのは

 漱石虞美人草』の序盤で、登場人物が言う。<愛嬌というのはね-自分より強いものを倒す柔らかい武器だよ>。にこやかで憎めない表情やしぐさは、時に強みになる。漱石が解釈する愛嬌だろう。……

 秋の花、曼珠沙華は思わぬ場所にいきなり咲いて人を驚かす。漱石の句。<曼珠沙華あっけらかんと道の端>。明るさの中に人柄がにじむ。新しい大輪の開花である。

 出典:中日春秋:中日春秋(朝刊コラム):中日新聞(CHUNICHI Web)(2019.8.7)

 

 「それな」って感じですね。愛嬌があれば多少言いづらいことを言っても笑いにできる。それとなく釘をさしたりできますから。無神経と紙一重ですが・・・。

 ちなみに九州から京都に出てきた私は、大学生のときに初めて日常会話で「それな」という相づちを聞き、なんて素敵な相づちだろうと感銘を受けました。「わかる」よりも嫌味がない。言ったほうも言われたほうも親密さを感じる言葉です。「シュッとした」の次に使いやすい言葉だと思います。でも恥ずかしくて「それな」って声に出して使ったことないんです。大阪人が標準語をしゃべるときの恥ずかしさに似ているのかもしれない。

 

 

犬の日々、犬の耳

 駅から会社までの3分の道のりですら行き倒れそう…。朝から30度、昼には35度、家に帰ると室内も35度。骨董品のようなエアコンからいつ煙が噴き出さないかとハラハラする毎日です。そもそも室内の熱を外に出すっていうシステムと、アスファルトやコンクリートの構造が、いっそう外を暑くしているんでしょうね。集中豪雨の被害にも関わるので、こうした都市構造は今後見なおされていくだろうと思いますが…。いまのところ、ヒートアイランドに住んでいます。

 夏のことを英語で「ドッグデイズ(犬の日々)」という。冬の星座・おおいぬ座シリウス(別名・ドッグスター)がこの時期、太陽とともに昼間の空に現れるのに由来するらしい。

 では、ここでクイズを一つ。「ドッグイア(犬の耳)」とは何でしょう? 答えは本のページの端を折り曲げて、しおり代わりにすることをいう。確かにあの三角形は、ぺたんと垂れ下がった犬の耳に似ている。……

 出典:神戸新聞NEXT|正平調|(2019.7.30)

 本に線を引いたり、折り目を付けたりすることに抵抗があるので、ページを折り曲げてしおりがわりなんて雑誌でしかやりませんが、たしかに犬の耳っぽい。かわいい表現ですね。誤字を見つけたときは、職業柄、赤をいれたくなるのをぐっと我慢します。印象的な部分には付箋をはって、のちのちブログなんかで感想を書くときの目安にするんですが、この付箋ののりも、はったまま時間がたつと本を傷めてしまうそうですね。

 

白昼夢

 だったのではないかと思うことがある。小学5年の夏休み。暑い日だった。午後、自転車で学校のプールに出掛ける前に雷のようなごう音が響いた。窓から空を見上げたが、青空が広がるばかり。おかしなことがあったのは帰り道だった。

 空から細切れの綿が降ってきた。「何だ、これ」。友達と顔を見合わせた。1971年7月30日。岩手県雫石町上空で全日空機と自衛隊機が衝突し162人が犠牲になった雫石事故である。自宅が隣町にあった。綿が墜落した機体の座席の一部だったのではと思いが至ったのは後々のことである。……

 出典:河北春秋|7月29日 | 河北新報オンラインニュース

 

 あとから思い出してみて、あれはこういうことだったのだろう、ということがある。逆に、あとから思い返してみても、あれは何だったのかわからない記憶もある。

 あれは4~6歳あたりの出来事だろう。人口約6万人の地方都市に一つだけデパートがあった。私は屋上遊園地に行きたくて、母とはぐれて上階に向かうエレベーターに乗った。背が低かったので、ボタンは押さなかったと思う。

 やがてエレベーターのドアが開き、晴れわたったまばゆい空と、青々と水をたたえたプール、水着姿でくつろぐ人々があらわれた。光にあふれていて、ざわざわと賑わっている。田舎のデパートの屋上に、こんな海外のリゾート地のような光景があるものだろうか。「デパートの上のほう」にあるのは、100円で動く遊具と、メロンクリームソーダが飲めるレストランだ。

 自分は迷子になったのだ、このままでは帰れないと思った私は、こわくなり、エレベーターの下のほうのボタンを手が届く範囲でいくつか押した。ドアが閉まり、エレベーターは下方に向かって動き出し、私は「下のほう」の階で母や姉と合流したのだと思う。屋上にプールがあったと言うと、夢でも見たのか、何かの勘違いだろうということだった。

 このままでは帰れなくなるという感覚があまりに強かったので、自我がはっきりする年ごろまでは、1人でエレベーターに乗るのが怖かった。時々、考えることがある。あのとき、エレベーターを一歩でも出ていたらどうなっていたのだろう。

 

鹿十

「シカトする」。無視を意味するこの身近な俗語も鹿が語源だ。もともとは花札の10月の10点札がそっぽを向いた鹿の絵柄であることから、博徒らが無視の隠語として呼んだ「鹿十(しかとう)」が転じた。

 出典:朝刊コラム「談話室」|山形新聞(2019.7.15)

 

 「シカト」。小学生のときに誰かが使うのを聞いて、そういうものなのだと疑問を持たずにたが、考えてみれば漢字を推測することもできない。案外、おもむきのある語源だ。小、中学生の頃の湿度のある人間関係が思い起こされて、大人になってからは使うこともなく、耳にする機会もなくなった。そっぽを向いた鹿なら、かわいいけれど…。

 

持っている武器の心細さ

 ギリシャで、持っている武器の心細さを嘆く子に、親が言った言葉だという。「汝の一歩を加えて、剣の短きを長くせよ」。英国の著述家スマイルズの『自助論』にある。不利に見える境遇を克服するのは、一歩前に出る勇気である。そう語っていようか。

 出典:中日春秋:中日春秋(朝刊コラム):中日新聞(CHUNICHI Web)

 しかし、相手だって一歩を踏み出すだろう。自分の一歩は心細く、相手に勝る武器は心強い。

 不利な状況を克服させるのは勇気より冷静さだと思う。ところが、不利な状況にある者はもちろん冷静な状態にはない。この冷静さを獲得するために、勇気が必要なのかもしれない。よくいう「肝が据わっている」というのは、こういうことなのではないか。無謀ではなく冷静であるということ。臆病な人間にこそ必要な、あるいは、備わっているものだ。