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裁判員裁判制度7年

 

 重大事件の裁判に市民が参加する裁判員裁判が始まって7年が過ぎた。裁判員を務めた人は6万8千人に上り、8800人近い被告を裁いた。……
 問題は、裁判員を辞退する人の率が年々増え、高止まりしていることだ。……制度が始まった2009年の辞退率は53%だったが、今年1~3月は66%となった。
 背景の一つに審理の長期化があろう。初公判から判決までの平均日数は09年が3・7日だったが、昨年は9・4日にまで増えた。……
  市民を尻込みさせる理由として精神的な負担も大きい。殺人現場の陰惨な写真を見て、不眠などの急性ストレス障害を発症したとして、裁判員経験者が国を訴える裁判も起きた。……
 加えて人を裁くという重圧がある。当事者になれば、その重みは想像を絶するはずである。死刑判決を出した裁判員経験者らがその後、「壮絶な重圧と葛藤がある」として刑の執行の一時停止を国に要望する事態も起きた。……

〔社説:山陽新聞2016年5月24日。強調は引用者〕

 

 6万8千人。少なくない数字ですが、私自身も含め、周囲で関わった人はまだいません。もし通知が来たら、私はとりあえず辞退はせずに、受けるだろうなと思います。義務や責任というよりも、興味があるから。もちろん、軽々しい気持ち、という意味ではありません。よしんば軽々しい気持ちで参加したとして、その気分を、実際に裁判員として参加していながら保ち続けることは、できないんじゃないかな……。

 こういうのは、長い間積み重ねられてきた裁判例のバランスを崩す可能性がありますから、それが吉と出るか、凶と出るか、難しいですね。吉と出ることを期待して導入された制度ではありますが、一般人への負担はもちろん、素人が判断したその結果が、罪に相応のものなのかどうか……。この7年間の6万8千任の裁判員と8800人近くの被告人は、裁判員裁判の影響をはかる材料でもあります。

 7年前、私は大学生でしたが、こういった制度が日本という社会で実際に導入されることに、なんだか不思議な感じがしたのを覚えています。いや、今でも不思議です。そういうの、嫌いそうじゃないですか、日本って。裁判員制度に反対というわけではなく、むしろ賛成なのですが、よく導入できたな、と思いました。

 裁判だけでなく、政治でもそうですけど、もちはもちやに任せておけば精度も高いし、効率もいいし、いろいろと複雑怪奇だし、それはそれで便利ですよね。でも、自分もそのシステムの一部だということを自覚する必要があるんじゃないか、とも考えたりします。社会勉強というには、あまりにも重い責任ですけど……。その責任って、本来は誰もが担っているもので、ただ普段の生活では感じることのできないものっていうだけなのかもしれません。

 

社説「裁判員制度7年 理念揺るがす辞退の増加」山陽新聞2016年5月24日http://www.sanyonews.jp/article/354189/1/?rct=shasetsu