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ダッカ飲食店襲撃事件

「あらゆる人権を否定するのが貧困です」。10年前、ノーベル平和賞を受けたバングラデシュの銀行家ムハマド・ユヌスさんの言葉を思い出す。貧しい人に無担保で低額を融資する。その金で起業し、自立を促す「マイクロファイナンス」を根付かせた人物だ。……

 かつて、ユヌスさんの母国は「アジア最貧国」とされたが、最近は経済成長が著しい。……そんな国で起こった武装グループによる飲食店襲撃事件である。……最大の援助国の一つは日本である。被害に巻き込まれた邦人も、国際協力事業の第一線で活躍していたという。……

〔コラム:北海道新聞2016年7月3日〕

 

 コーランを暗唱できない非イスラム教徒を狙ったテロだとも言われています。

 「テロ」という言葉が、こんなにも日常的なニュースとして使われるようになるとは、9.11以前の世界では考えらえなかったのではないでしょうか(2001年当時、私は中学生で、それ以前の世界情勢を知らないためにそう感じるのかもしれません)。争いというのは、「戦地」で起こるものだと思っていました。

 これも一つのグローバル化でしょうか。そのことによって、宗教的な争いの根深さとともに、そこにある教育の不足や貧困もまた可視化されました。もちろん、それは、以前からあったものが、先進諸国への脅威として現れたことによって「見えた」にすぎません。そうした意味では、テロは、たしかに有効性をもつと言えるのでしょう。

 私には(そして、おそらく多くの人にとっても)、人の救いや幸せの一助となるシステムであるはずの宗教が、人の命を奪うという本末転倒の事態について、理解しがたい感じがします。無関係の人が理不尽に命を奪われることはもちろんのこと、信者もまた、自らの命をなげうっている。信仰に心身を捧げた人に対して、そうする「理由」があるのではないかと考えることは、無為でしょうか。たとえば、彼らが、別の環境に生まれていたならばそんなことはしなかったはずだ、と考えることは。

 彼は彼らの世界ではなく、その外の世界と戦っている。その外の世界は、違う神をあがめ、豊かで、しかも支配的である。土地も、お金も、資源も独占しようとしている。そういうふうに考えることは。だからといって、失われた命はもう取り戻せない。

 

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