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愛と正義

 

「われらは愛と正義を否定する」

 障害者運動史で、ひときわ強烈なこの言葉。脳性まひ者たちの団体「青い芝の会」の行動綱領として知られる。

 1970年、母親が障害のあるわが子を殺害する事件が起きた。母親への同情から広がる減刑嘆願運動に、同会は強く反発。愛ゆえに障害者は殺されても仕方ないのか。同情は正義か。「殺される側」からの問題提起は当時、広範な議論を巻き起こした。……

 出典:岩手日報・論説(2017.7.26)

 

 相模原障害者施設殺傷事件から昨日でちょうど1年だった。つい3ヶ月ほど前の事件のような気もしていたが、もう1年もたつ。

 個人の問題ではなく、社会問題が顕在化したものだ。人々の集まりを社会としてみたとき、そこには様々な生きづらさを抱える人がいる。身体障害者精神障害者知的障害者に限らず、左利き、低所得者、低学歴者、シングルマザー、シングルファザー、セクシュアル・マイノリティ……そして、その周囲の人びと。こうした生きづらさは、社会機能上、世の中がマジョリティーに合わせて形づくられているため、必然的に発生するものだ。五体満足で、右利き、大卒、正社員、異性愛者、結婚し、健康な子どもをうみ、育てる。そうした生き方に添えば生きやすい社会システムになっている。しかし、それは、正しさの証明ではない。正しさというのは、容易に使うことはできない言葉だが、マジョリティーの中にマイノリティーが存在する、そうした社会の存在が正しさだといえるだろう。この形態を社会システムが歪めるのではなく、この形態に合わせて社会システムがつくられなければならない。

 これは、もちろん、理想論だ。わたしたちは聖人君子ではない。しかし、だからこそ、愛や正義ではない、システムを形作ることが必要なのだと思う。