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住まい

 内の自治体で福祉行政に携わった人は、「ああいうアパートは正直言って、ありがたい」と話していた。火事で全焼し、5人が死亡した横手市のアパートのことである。……全焼したアパートは管理人が常駐し、法令に沿った防災対策をしており、長年の受け入れ実績があった。入居者が通う精神科の病院は「門前払いも多い中、障害に理解のあるアパートだった」としている。

 だが県内でグループホームの運営に関わる人は、「あれが望ましい形なのだろうか」と疑問を抱く。社会的支援を受けるべき人たちが、やむなく安価な民間アパートに集まって暮らしているように感じるという。

 出典:北斗星(8月24日付)|秋田魁新報電子版(2017.8.24)

 

 障害者支援とか、高齢者支援、ホームレス支援、出所者支援というのは、かなり重なる部分が大きいだろうと思うのですが、「仕事」と「住居」を得ることの切実さと困難さは、特にそうではないでしょうか。

 私はときどき、部屋で寝転がっていると、薄給とはいえども自分のお金で月々の部屋代を支払い、暮らしているということに、不思議な、なにか信じがたいような気持ちになることがあります。それは自信というよりは不安に近い。ほんのちょっとの不幸でこの生活はあっさり失われるだろう、私はそういう暮らしをしている……という感覚なのだと思います。

 記事に引用したような社会的支援の場合は、お金の問題だけではないのでしょう。保証人や、近所とのトラブル、周囲の社会資源の多寡など。どこでもいいわけではない。生きている誰しもが。