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140字のツイッター

 のを考え、書く力を付けるためには「ツイッターを140字以内ではなく、140字以上でないと送信できなくすればいいんじゃないか」と言った人がいる。

 カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞した「万引き家族」の是枝裕和監督だ。朝日新聞の取材に対する言葉で「短い言葉で、クソとか発信しても、そこからは何も生まれない。文章を長くすれば、もう少し考えて書くんじゃないか」と続く。

 同感である。SNSの浸透につれ、この社会には意見を共にする人たちにしか届かない言葉があふれてきた。相手を敵か味方かで二分し、短絡的な言葉の応酬が幅を利かせている。

 人類が霊長類と呼ばれるのは言葉を獲得し、お互いの気持ちを思いやることができるからである。その能力を育てるために古来、人々は読み書きの力を養う努力を重ねてきた。……

 出典:<全文>「考える力、書く力」/AGARA 紀伊民報(2018.6.26)

 

 「ものを考え、書く力」には、論旨と説明・考察を論理的に構成して書く長い文章もそうですが、要点を捉えて端的に表現する短い文章も含まれます。この後者の力を発揮するという点では、ツイッターの140字以内という制限は、むしろかなりちょうどいい塩梅ではないでしょうか。さらに、文脈や表現によって、文字では説明されていない背景を読み手に理解させる点で、よくできた文だな、というツイートを見かけることすらあります。これは俳句や短歌にも通じるところがありますね。

 もう1点、ナンセンスを承知でいえば、「140字以上」という制限では、ツイッターは無料のSNSとしてここまで発展しなかっただろうと思われます。このようなことを考えてみると、ツイッターと映画は、限られた時間(文字)のなかで、余計なものを省きながら(あるいは、あえて入れながら)、観る(読む)者の興味を引くという点では、共通している部分もあるのではないでしょうか。

 「短い言葉で、クソとか発信しても、そこからは何も生まれない」。これは、ツイッターという性質を考えてみると、ただその人が発信しただけならば、その人の気晴らしにはなるでしょうから、別にいいんじゃないのかなと思います。そうつぶやかずにはおられない、何かがあったのでしょう。ただ、これを誰かに対して返信した場合はまったく別の話で、是枝監督のような作品を世に公開する有名人ならば、そんなツイートを受けることもよくあるのかもしれません。たしかに「もう少し考えて文章を書けよ」と思う気持ちも分かります。

 まあ、このコラムを読むともやもやとしてしまうのですが、もとになった記事を読んでみたら、もしかしたら是枝監督の言葉も前後の流れで違う印象になるのかもしれませんね。コラムの執筆者は、是枝監督の言葉に続けて、「SNSの浸透につれ、この社会には意見を共にする人たちにしか届かない言葉があふれてきた。相手を敵か味方かで二分し、短絡的な言葉の応酬が幅を利かせている」と書いています。「あふれてきた」というより「可視化された」というだけかもしれませんが、可視化されることによって、誰かに対する批判や賞讃が異様に増長されやすくなった、とは感じます。

 わたしたちは、言葉によって考え、言葉によって表現し、言葉によって認知し、言葉によってコミュニケーションし、傷つき、喜び……理解も誤解も言葉から生まれる。言葉に振り回されているんですね。それがときに快感でもあります。