sleep like a log

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白昼夢

 だったのではないかと思うことがある。小学5年の夏休み。暑い日だった。午後、自転車で学校のプールに出掛ける前に雷のようなごう音が響いた。窓から空を見上げたが、青空が広がるばかり。おかしなことがあったのは帰り道だった。

 空から細切れの綿が降ってきた。「何だ、これ」。友達と顔を見合わせた。1971年7月30日。岩手県雫石町上空で全日空機と自衛隊機が衝突し162人が犠牲になった雫石事故である。自宅が隣町にあった。綿が墜落した機体の座席の一部だったのではと思いが至ったのは後々のことである。……

 出典:河北春秋|7月29日 | 河北新報オンラインニュース

 

 あとから思い出してみて、あれはこういうことだったのだろう、ということがある。逆に、あとから思い返してみても、あれは何だったのかわからない記憶もある。

 あれは4~6歳あたりの出来事だろう。人口約6万人の地方都市に一つだけデパートがあった。私は屋上遊園地に行きたくて、母とはぐれて上階に向かうエレベーターに乗った。背が低かったので、ボタンは押さなかったと思う。

 やがてエレベーターのドアが開き、晴れわたったまばゆい空と、青々と水をたたえたプール、水着姿でくつろぐ人々があらわれた。光にあふれていて、ざわざわと賑わっている。田舎のデパートの屋上に、こんな海外のリゾート地のような光景があるものだろうか。「デパートの上のほう」にあるのは、100円で動く遊具と、メロンクリームソーダが飲めるレストランだ。

 自分は迷子になったのだ、このままでは帰れないと思った私は、こわくなり、エレベーターの下のほうのボタンを手が届く範囲でいくつか押した。ドアが閉まり、エレベーターは下方に向かって動き出し、私は「下のほう」の階で母や姉と合流したのだと思う。屋上にプールがあったと言うと、夢でも見たのか、何かの勘違いだろうということだった。

 このままでは帰れなくなるという感覚があまりに強かったので、自我がはっきりする年ごろまでは、1人でエレベーターに乗るのが怖かった。時々、考えることがある。あのとき、エレベーターを一歩でも出ていたらどうなっていたのだろう。